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アメリカで黒人が警官に射殺された [..........]

それを、恋人が動画に撮影していて、動画サイトにアップされた。
撮影を始めた時には、おそらくその恋人にしても目の前で彼が射殺されるなんてことは思いもしなかっただろう。

最近は、いろんな事件が誰かの撮影した動画によって残されることが多い。
20年以上前に「ハゲワシと少女」という写真がピューリッツァー賞を受賞したことがある。
1993年スーダンの食糧配給所の近くでうずくまった少女をワゲワシが狙うというショッキングな写真がピューリッツァー賞を受賞するのだが、この写真を撮影したカメラマンは受賞後に写真を撮る前に少女を助けるべきではなかったかと非難を浴びることになり、授賞式からわずか2ヶ月後に自殺してしまう。

Youtubeをはじめとする動画投稿サイトにはショッキングな動画が投稿されることが多い。
TV局も自局に投稿できるようなAppを配信し視聴者からの動画を募集していたりする。
こんな時代にいる僕たちは、今、目の前でうずくまった少女をハゲワシが狙っているとしたら、はたして僕たちは動画を撮るべきなんだろうか?
それとも、撮影するチャンスを諦めてハゲワシを追い払うべきなんだろうか?
あるいは、目の前で黒人(でなくてもいいけど、誰か)がより力のあるものから一方的に暴力を受けようとしていたら、僕たちは録画のボタンを押すべきなんだろうか?それとも、暴力を振るおうとしている者を止めるなり誰かに助けを求めるなりして、それを止めるべきなんだろうか?
もちろん、カメラを向けることが暴力を止めることもあるだろうし、あるいは、暴力がカメラマンに向かうかもしれないが、それは起こりうることかもしれなくて、確実に起きることではないので、目の前で今まさに起きようとしている暴力に対して、僕たちは直接、暴力を止める行動を取らなければならない(むずかしいけれど)。
動画投稿サイトを見ていて不安になるのは、より多くの人に見てもらおうとするあまり、より過激なシーンを撮ろうと、暴力を撮影するが為に暴力を振るい動画を撮影するようになるのではないかと思うのだ。
そうなった場合には、カメラは暴力を抑制することはできず、増長させることになる。

もし、暴力に対し動画が公開された時は、僕たちはその動画が撮影したことを激しく非難するべきではないだろうか?
目の前で暴力が振るわれようとした時には、カメラマンである前に一人の人間であるべきだと思う。
そして、他にいる誰かが暴力を止めようとした人間を撮影すればいい。
暴力を振るおうとする人間ではなく、暴力を止めようとする人間を撮影するべきなのだ。
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